東北地方きっての絶景を誇る立石寺。切り立った岩の間にお堂が連なっていて、崖の上に建つ五大堂からの景色は圧巻です。山寺と呼ばれるほど山頂に近い場所にありながら、電車の駅から近いという点も魅力。
閑さや 岩にしみ入る 蝉の声
松尾芭蕉のこの有名な句は立石寺を訪れた際に、詠まれたもの。
奇岩の間を縫うように造られた1100段以上の階段は、休憩所で休んだり、景色を楽しみながらのんびり上ることができます。とはいえ、かなり高い場所まで登っていくので足腰の弱い方は要注意です。
立石寺ってどんなお寺?
立石寺は860年に慈覚大師円仁が開山。東北屈指の大道場として栄えていました。
お大師さんといえば、関東と西日本では弘法大師空海ですが、東北のお大師さんは、慈覚大師円仁のこと。それだけ、東北の人々に親しまれてきたことがわかります。円仁の遺骨が納められているといわれているのは、立石寺のみ。円仁は立石寺に埋葬して欲しいと弟子たちに遺言をのこしたそう。このことからも、円仁と東北の人々にとって立石寺が特別な存在であったことがわかります。
慈覚大師、円仁ってどんな人?
794年現在の栃木県に生誕(864年没)。15歳で修行僧として比叡山に入山。天台宗の開祖・最澄の元で修行を重ね、弟子として唯一最澄の代講を任せられるまでになります。最澄の教えを受け継ぎ全国に布教活動を行います。45歳で遣唐使として唐へ渡り様々な苦難を乗り越えて修行を重ね、54歳で日本に帰国。多くの経典や写経を持ち帰り、その功績により天皇より天台座主に任命。そして没後には、その死を悼み清和天皇より「慈覚大師」の称号が与えられました。円仁が生涯で開山・再興した寺院は600を超えると言われていて、日本の仏教において重要な役割を果たした人物です。
南北朝戦争の戦禍により1522年に戦禍により多くが焼失しましたが、現在に残る建物の多くは1543年に再建されたもの。
立石寺の見どころ
根本中堂(本堂)
開山以来の不滅の法灯がある根本中堂。不滅の法灯は比叡山で最澄が自ら燈した灯りのことで、立石寺創建時に比叡山延暦寺から分火されたと伝えられています。織田信長による延暦寺焼き討ちの際には、この中堂の灯りが比叡山に運ばれたそう。
本堂であるこの建物は1356年に再建されたもので、ブナ材を使用した建築物としては日本最古の建物。
開山堂と納経堂
百丈岩とよばれる巨岩の上に建つ円仁を祀るお堂。この崖の下の岩窟に円仁の遺骨が埋葬されていると考えられています。更に岩の上にある納経堂は、立石寺で山内で最も古い建物。
五大堂
五大堂からの眺めは圧巻。絶壁からせり出すように建っている 舞台造りで、立石寺の全景や麓を一望できる絶景スポットです。五大堂より上にある釈迦堂や胎内堂は立ち入り禁止なので、五大堂が一般の参拝客が立ち入ることができる一番高いお堂です。
立石寺はどこにあるの?
立石寺は山寺と呼ばれていることからも、山の中にあるのですがJRの駅から近く、交通の便が良いので遠方からでも訪れやすいのが特徴です。
公共交通機関を利用
JR仙山線「山寺」駅より徒歩7分ほど
山形新幹線「山形」駅でJR仙山線に乗り換えて「山寺」駅で下車します。駅のすぐ近くにはお土産物屋さんや飲食店、ホテルなどがあるので観光気分を味わえるのがいいですね。
地図で確認
立石寺(山寺) /Rissyakuji
住所:山形県山形市山寺4456−1
拝観については、お寺の公式ホームページをご確認ください。